なによりも重要なのは「主体性」じゃないでしょうか。
主人公の行動にそれが伴っていれば、どんな選択でも理解や共感してくれる人間はいる。
逆に言うと、愛や友情といった万人にとって価値のある指針に従うだけでは、
そのキャラクター自身の内面に迫れず、凡庸な印象になると思っています。
「主体性」というのは、独善を含んでいても一向にかまわない。
ただ、その結果、責任を受け入れる覚悟があればいい。
通り一遍の雛形主人公に落ち着いてしまうよりは、
これくらい思い切ってキャラを描きたいですね。
そんな自分自身の傾向を反映すると、必然的に危険を孕んだ
主人公になってしまうんですが、実際に行動へと移すかどうかは問題ではなく、
その余地があることをプレイヤーに示唆する、
そして先の展開に含みを持たせることに大きな意味があります。
水戸黄門的な予定調和を避けるために・・・です。
また心を揺さぶる局面を迎えたとき、衝動的に一線を越えるのではなく、
ギリギリのところで踏みとどまることも大事かな、と。
人間なら誰しも、ネガティブな感情や欲求に安易に身を任せまいと
苦悶した経験があるんじゃないでしょうか。
こういった忍耐と照らし合わせてみると、簡単にキレてしまうキャラは
どこか幼稚で浅く映ってしまうんですね。
自作品でキャラクターの感情が爆発するような場面がほとんどないのも、
こうした観点に起因していると思います。
(熱い展開とかないのも、そのせいかもしれません)
ただRPGだと大抵仲間と行動することになるので、
彼らとの折り合いも考える必要があるでしょうが・・・
だからといって(一体感の演出のために)主人公が「主体性」を放棄したり、
仲間がイエスマンに成り下がったり、どこか雰囲気がぬるい、
緩くなりがちになってしまうのは妥協の産物という気がして好みじゃありません。
プレイヤー次第ではそれも一種の清涼剤になるんでしょうか、
自分はあくまで「主体性」重視、ヒリヒリした人間関係も群像劇らしくていいなと思うので
キャラ同士の馴れ合いをあまり求めない人向け主人公、と自己診断しておきます。
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