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アウトローはお呼びじゃない、その理由

  • 執筆者の写真: spleen
    spleen
  • 2022年7月13日
  • 読了時間: 2分

以前、危険を孕んだ主人公を好む、と書きましたが、それすなわち強面のアウトローが

自分の表現したい理想像というわけじゃありません。

なぜなら、アウトローなる存在はすでに”一線を越えてしまった人たち"であって、

当然彼らは暴力だの犯罪だのに対するハードルも低くなっているからです。

従ってアウトローの葛藤というのは自分じゃなく周りの人間に危害が及ぶかどうか?

みたいな場合が多く、それが自分より他者を守るような人物像として描かれ、

美化されているのが嫌なんです。


アクション映画やゲームなら破天荒な主人公のほうが見世物として面白く

好まれたりするんでしょうが、あまりに現実離れしたものは

”こんな人間、この世には存在しないんだ"

という虚しさのほうが勝ってしまいます。

その点はスーパーヒーロー物とて同じですが、ヒーローがカッコいい、はともかく

アウトローがカッコいい、は毒を以て毒を制すアンチヒーローならば歓迎もできますが、

実際は逸脱しきれない健全さ、アウトローだけど悪い人じゃないよ、というアピールが

鼻について結局、正義と悪、勇者と魔王の戦いにしかなってないんですね。


だから自分は、なんとなくその中間に主人公を配置しておきたいな、と思うのです。

その隣りあわせこそ、ストーリーの岐路を描くために必要かつ適切ではないか、と。

彼らと道が交わることで、本当に自分が対峙すべき相手は誰なのか・・・

言ってしまえば最大の敵は他でもない自分自身である、そんな世界観がシリアスな雰囲気を

醸し出す一番の要因になってるんじゃないかと意識しています。

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©  2018 spleen

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