自分の意見は、ストーリーというのは作者とキャラクターの共同作業によって形作られる、というものです。
そのためには、キャラクターにある程度の自由と裁量を与えることも必要かと思います。
たとえば、いくら設定を細かく詰めたところで、その通りに動くだけのキャラクターは
プログラムされたロボットと変わりありません。
作者にはキャラクターを理想の友や恋人のように描きたい、そんな欲求もあるでしょうが
それはプレイヤーにとって作者の望む受け答えを際限なく繰り返す、
オウムのような存在に等しいわけです。
そこに彼らの意思はあるんでしょうか?
キャラクターを導くことばかり考え、彼らの自立を妨げていては、
キャラクターはストーリーの担い手から除外されてしまうんじゃないでしょうか。
極端な話、彼彼女が作者の手を離れて歩み始めたときこそ、
ストーリーの幕開けといっても過言ではないのです。
ただし、そのためにはまず作者自身、痛みに耐える覚悟が備わってないといけません。
つまり・・・
『キャラクターが自分の望まぬ道、人間となるようなリスクを、
作者であるあなたは許容できますか?』
この答えがYESなら、その人はキャラクターに命を吹き込み、
成長させることができます。
NOなら、いつまでも変わらない、架空の友達がそこにいるだけです。
前者はハッピーエンドになるとは限りませんが、
後者は絶対的なハッピーエンドになるでしょう。
なぜなら、そこはプレイヤーやキャラクターの介在する余地がない、
作者の理想郷だからです。
だからもし、ストーリーを描こうとするなら、理想を手放し、自由を与え、
リスクと向き合ってください。
彼らが血肉を得た人間として認識されるなら、
プレイヤーも自然と感情移入できると思います。
自分の作品を念頭に書いている点も多々ありますが、
ストーリー性の高い作品は、キャラクターが作者から自立した存在として描かれている
そんな風に解釈しております。
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