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集団の利益と個人の利益

  • 執筆者の写真: spleen
    spleen
  • 2021年6月24日
  • 読了時間: 2分

人間なら誰しもこの二つを意識した生活を送っていると思います。

前者ばかり優先すると波風は立てないものの、主体性に欠けた

日和見主義者になってしまったり 

後者に重きを置くと身勝手で独りよがりな人物と映ってしまうリスクがあります。

ではこれらのバランスを取るため日々苦心しているかというと、そうでもないです。

高い関心を寄せる事柄には妥協を許さず主張を押し通し、

低ければ周囲との折り合いを第一に考え、穏当に済ませよう、となるわけですから。


したがってそれ自体は不安定な状態というのではなく、むしろ普通のことでしょうが、

問題は集団の利益と個人の利益が相反するときです。

そうなると、心に葛藤が生じます。

ここに焦点を当てるのがストーリーへの没入感を高めるポイントだと思っています。

自作品を例に挙げると、こうした局面では何よりもまず個人、主人公の利益を優先します。

もっとも、それが私利私欲に満ちた選択なら闇落ちみたいな感じに

なってしまうでしょうが・・・

共感を得られる道理があれば利己的な行動といえども理解してもらえるのでは、と

思っています。


大団円のような終わり方を求めるなら、全体の奉仕者という位置づけの

主人公もアリかもしれません。

個人の利益を集団へと還元できる理想的なリーダーは、英雄として申し分ないでしょう。

ただこういうキャラだと良くも悪くも仲間の存在が重くなりがちで、

冒険を進めるうちに足枷のように感じてしまうことも・・・

この辺りは自分がややドライな描写を好んでいるゆえでしょうか。


長々書きましたが集団と個人の利益、どちらを選ぶにしても自分が望み、

指針とするのは以下のような文言です。


最も勇気が必要とされる決断こそが正しい選択だ、と・・・


(ここで試される勇気とは主人公の生死ではなく価値観、

信念や理想を揺るがす方向がカッコいいですね。

命懸けといったところでゲームならロードして何度でもやり直せますから)


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